❖無限解=[2005^11⇔06:01^]❖

※一人でも出来る、無限解・潜功探索・空想研究《実験・日誌》※

⌒(^Й^)⌒ 《解説しよう、【暴顕?デムパ大王】は市販されてはいない》 ⌒(^Й^)⌒
余りにも言語道断、この星の生物の頂点とやらに在するらしき生命群=人類とやらに対する、脅威?の痛恨の連撃≒石化+麻痺+Level・Drain効果にも似た書である?)、⇒幻の不思議・空想冒険・読み物=『望見?デムパ大王』なのである。 ↑Symbol・Markは、可愛い前歯のキラリと光る・ウサギ≒(ボーパル・バニー?=別名・愛くるしい、小さな忍者)である。では、巻頭特集の〈壱〉 =Magic・Duel(魔法合戦)の始まり・・・。この世にはWizardと呼ばれる特殊な職業がある。(おいおい)。この術者同士の戦いとは、(おいおいおい)。白帯及び若葉Mark及び量産型などには解し得ない、壮絶な戦いになるのである。それは一流武術家同士の戦いにも似ている代物なのである。(おいおいおいおい)。武術家との違いは、死を持って終わりと言った代物ではないと言う事である。(本当?)←おいおい。例えれば、MK・ Propaganda→眼鏡・魔法少年の様に、魔法学院結社?に入学することで、擬似魔法?を学べなくも無いのだが、その様な非常に有害で怪しい(あっははのはーっ)アカデミー?の授業を受けずとも、解かり易く音楽を例に挙げると。別に音楽学院で学ばなくとも、天才的演奏能力を持ちえる存在は、その様な外部に置いても当然あり得るのである。技術体系などは、後で構築可能であるので、拘る必要は無い。更に別の例として、超・天才数学学者=ラマヌジャン(数式の証明が何故必要なのかを理解出来なかった、超の付く天才)のように。*そこだけでしか得られないと言ったものではない*と、記しておくのである。増してや*Kung fuに比べれば*、魔術?など半分、異化様(イカサマの誤訳)の様なものである。勿論このGenreにもHierarchieは*至極当然に存在する*のであるが。召還力(どれだけ上級の★伏字★を、引っ張り出せる?か)と言うのも必須ではある。Spellの運用など限界が存在するし、秘数方式は急場には間に合わんし、確実な激突力は、召還に勝るものはないと、存じている(おいおいおいおいおい、一息ついて、おい)。この様に魔法合戦=Magic・War において、粘土の兵隊を幾ら並べようと何の役にも立たないのである。戦いの質が違うのである。無論/MPの残量を勘定に入れておかねばならない?(おいおい、魔法使いにゃ、HPやMPのCounterでも付いてるんですか?)。噺を面白くしているだけである。(ぶぅ~ぶぅ~)。この様に初級及び中級 Classには非常に楽しい読み物と成っている訳なのであるが、上級及びGRANDとやらが付くような輩は、顔色が変わるやもしれんのである。この様な ClassはMagic・Warに敗れ去るとどの様になるかを多分存じているはずなのである。それは●確実に致命的●なのである。であるが故に何も知らぬ少々使える、研修生如きの数を集め(下請けに出すのと同じ)、自らが被害を受けないような手法を取るのである。使い捨て(少々甘い餌を食わせて置いたような輩)に突撃を命じるのである。だが、対する術者が高レベルであるなら、その発動者(隠れて指示を発令している存在)を見据え、褐破する(真の対立者の存在)のは当然であるはずである。でなければ、本物のヘボである。そんなヘボなら突撃兵の一人二人で勝負は付いている。「karmaの代行者(笑い)は、冷酷で正確無比であるから」。忘れたころに取り立てに来る、ヤクザの取立てと違い、死んだからお仕舞いなんて訳にゃいかん、“ぴ~ょん”。と言う事である。「次回予告、秘数法定式運用とは?を、全力を持って☆口から出任せ大王☆≒【暴顕?デムパ大王】を楽しみに待ってて、“ぴょん”である。無責任編酋長=⌒ (^Й^)⌒。「だぴよ~ん」。実にお気楽Taste、笑う案山子劇場はこの様に、おバカで肩のこらない、演目を多数用意しております。正し、太鼓判印の不定期発信ですので、(そこがまた、面白い)。「ありがとうございます、です」。取り扱い説明の追記☞「他所へ出向いてまで、他人様の努力にケチを付ける様なちょっかいなど、我々は恥ずかしくて出来ませんのです」。偽装でBad・Imageの散布かよ、ご苦労なことだなっ、子供のケンカなんぞする心算はない。確信ならば、言葉は無意味、しかるに、悪しからず。
2006年01月19日 23時58分02秒

 

●答えを教えてくれ?、最もな事だが、その疑問も葛藤も貴方のものなのに~●
// 多相次元解汰-診察室・(空想・特撮劇) e 【Dr-Critical・Strange・Loveの本日は“休診日”?】 
「ここが、男の見せ所だ、やってみせろ!」「貴方は、エゴイストよっ」だったかなっ。↓作品より。「と言う事で、『今日は休みだっ』。健康に良くないと言われる、タバコでも、くゆりと吹かし、インスタントのCoffeeでも(可)を味わいながら、【憧れ】とやらの一つの形としてのTextに、ふさわしい作品シネマを思い出したので、少し語って診よう」。「今は無き、達人・黒澤明(監督)の作品?である、正確を期すならば、*台本が*黒澤氏のものであったと、言うべき作品である」。「記憶による再生であるので、誤記や勘違いがあるやも知れぬが、語ってみよう」。「タイトル(邦題)=暴走機関車であったと思われる」。「刑務囚人?と刑務所長?の葛藤(戦いとは言わぬ)ドラマである」。「去勢されていない作品と思っておる(感想だなっ)」。・・・主役の刑務囚人の名は、確かマニーとか呼ばれていたようであった、この人物が何故か、事の他、刑務所長に酷く憎まれているわけで、刑務所内での、息抜き娯楽としての BOXINGが催されるのだが、ここで、主人公の囚人は、刑務所長の刺客に襲われるのである。観客である囚人達がリングでの戦いに熱中していてる時に、観客席に座して見ている主人公に、その刺客(ちんけな餌で尻尾を振るような、人間もどきは何処にでもいるものである)は、主人公に襲い掛かるのである。主人公はその場を凌ぎ、刑務所長との対立が決定的なものである事を、確認するのである。・・で、主人公はどうするか?・・刑務所を脱獄するのである。しかしその刑務所の外は(設定が誠に素晴らしく)、*極寒の僻地*なのである。そうである、この作品はロシア製作であったと思われる。さて話しにもどろう、この脱出の時に、ある囚人(若葉マーク?)が一緒に連れて行ってくれと主人公に頼むのである。「俺は、あんた(確か→A-№1?とか主人公の事を呼んでいたような気もする)に憧れている」と。「一緒に連れて行ってくれないと(脱獄の事だなっ)、看守を呼ぶなどと脅され、仕方なく、だったと思うで、主人公は、その(若葉マークの)囚人と共に脱獄するのである。そして、列車に乗り込み、追跡を振り切ろうとするのだったかなっ、ところで、刑務所長は主人公の脱獄の事実を知ると、実に嬉しそうに(これを心底待っていた=一番の望みが叶った?)、追跡を始めるのである。描写視点のMainはこの双方であり、ほぼ主人公と若葉マークの絡みで流れ、そして途中から女性が一名、この二人に関わるのである。「これ以上Storyを語る心算は無い、見る方が楽しい」。「創作品=映画作品であるのに、Realityとやらが、確かに覗くのである」。「その創作されたキャラクター達の台詞の数々の中に、現代の漂白された人間とやら以上に、生臭さはあるにしても、生命が在るのである」。完全なる黒澤作品ではないにしても、台本の力(黒澤氏)の確かさとやらを、ひしひしと感じざるを得ないのである。小津さんは小津さんで善いし、黒澤監督は、黒澤明として素晴らしいと、言って置く事にする。「あらゆるGenreから。本物が居なくなった(排除された?)」。「現在の創作家とやらもほとんどが、パチモン(関西方面での、コピー品とか、マガイモノの意の俗語?)だなっ、殆どがハリーの森?(帝國映像Propaganda発信基地)にControlされておるからのぅ」。「↑この様なEntertainment作品(通常娯楽作品)から何を感じ、拾い出すかは、貴方次第と言うことであるなっ」。♪-What's New ♂-John Coltrane(じょん・こるとれーん)の曲でお別れとまた再びを告げて。+♪-It's Easy To Remember。※「勘違いされると困るので、注意を打っとく、突撃を奨めているのでは『決して無い!』」※。
2006年01月05日 22時31分11秒

 

●まちぼうけ=一度巡ってきた幸運を座して再び待つよりも、自立努力の方が確かである● 
巻頭・オマケ♪-「まちぼうけ、あるひ、せっせっと、のらしごと、そこへ、ウサギが飛んできて~」・・・。「非常に長い休憩であるなぁ」=【♭】極楽亭・Beevan。「居眠りから、夢幻世界の会友をしておっただけじゃ」=【♯】慧眼・不遜。「危ないネタを振っておるそうだが、安全確認は済ませておるのじゃろうなっ」=B。「御主が来たから、それで善しであろう」=不遜。「と言う事で、前回の続きを始めよう」。「《Part-Ⅰ》は最初から神がかり?を感じさせない、誠に素晴らしい音の流れが、ゆっくりと慌てずに流れだし(溢れ出し)て来ている≒ (`ぁ∀ぁ´)←ちょっと‘9度以下’(おいおい)。《Part-Ⅰ》始まりから、まぁ、中間部くらいまでは、来たーなんて、Keith、(きーす) Jarrettは思いもせず、淡々とPianoをなぞっている(夢中ともちょっと違う)?のである、途中で、きーすの意味不明の奇声が漏れておる時こそ、何か凄いのが来てると素直な部分が(なんとなく)感じている時であろうと思われるのである」。「音楽に関わる人(Player)ならば、観する事が出来るのではあるのだが、Dragなど以上に*真に喜ばしい穏やかなある領域に触れる感じ?*があるのである。少なくともケルンの《Part-Ⅰ》は、 Perfectを超える領域を与えてくれている事に間違いは無いと、思われる。この領域こそ、多分、びる・えばんすが求めていたものと思われるのである。「まあ、奇跡に近い音楽と、言い得るとなっ」=B。「ところが。《Part-Ⅱa》になると、《Part-Ⅰ》の余韻で始めは走り出すのである、自前の技巧が、残り香の如き余韻と上手く交じり合って、何とか、Tasteを保っているのである。が、既にこの時点でゆっくりと降下しつつあるのである(何処からなのにぁ~)のだが、例えとしての上昇気流が失われつつ有る事を感じ、懸命に持てる技巧で。再び、その上昇気流に戻ろうと、努力するのである(音楽を楽しむ者として、その気持ちは十二分に良く判る)のだが、余韻の残り香の残っているPhraseを繰り返しながら、賢明に探す(幸運か奇跡の如き上昇気流?)のではあるのだが、ゆっくりとした最後の残り香の旋律(押し上げていてくれた、上昇気流を惜しむかの如く)。別れを告げるかのように、ゆっくりとした旋律へと、(物質Levelへ舞い戻るのかやっぱり)《Play・Time・Countが10分を超えた辺りか》11分を超えるともはや、完全にその風は止んだんだと自覚するのである。もはや同じ様な音や旋律は出ていようとも、【東式】で言うなれば、『仏作って光なし』と、言った事だと思われる。此れ以降は、自力の苦闘Playが始まるのである。奇跡などは、一瞬の美しい景色(自然界の)を幸運によって対峙したのと同様のものであり、次の瞬間それは、別のものに成っている如きであって」。「地味で目立たぬ物ほど、美しい?と、言いたいんだねっ」=B。「その、東里(通りの誤訳ですねっ)」・「そうそう」。「と言ったことで、勝手な講釈、音楽編♪-The Köln Concertの終了な訳です。=口答無計。
2006年01月04日 21時58分13秒

 

●明けて新年の、特別お年玉=書初め寄席(笑う案山子劇場)の始まり始まり~● -2006-
【♯】:問う当?(とうとうの誤訳)、年も明けたようで、新年・初発の愉快でへっぽこな、空想・武侠伝の壱石?を、始めたい、「日本(にっぽん)の正月は、ゆるりおだやかで、誠に良いなぁ~」=慧眼・不遜。「あたしも、元気だぅ、にゃんにゃこりん」= 隣屋・コムギ。「反則・大王、お年玉は?」=コ。「出来うる限り、多くの人が穏やかで健康に過ごされる様にと、初詣を済ませて来た」「これで十分」=慧。「あたしは、そんなんじゃ、満たされないにゃ~、ぷぅ~」=コ。「後で、アイス・モナカでも買ってあげようかのぅ」=慧。♂-Louis Armstrongの♪-Mameを聞きながらの⇒「趣味の・不明-幻証哲学講座=お笑いヘボ・功座の(125)回㋱!☞「~ネコ句会~は【神がかり?】 =指定Textの♪-The Köln Concert(今回の基本BGMであるなっ)について、語りたい。≠ごっとめんしゅ?(ドイツ語か?、スペルは調べなかった)とも、*違う代物*なのではあるが」、=不遜。「ネタが、危ない?=(迷妄誘発・因子)」=ピピンタス。「☆その通り☆、ではあるが、無名門の徒←(別にこの様な形容詞に拘る必要は無い、便宜として使用)であるなら、これくらいは何れ、通過しなければならぬからなぁ」。「先行視聴してい頂いた者には、わかりやすかろうで始める訳だが」。「このSound・Albumは、ケルンに於ける4つのPartが録音されておる、《PartⅠ》は語る必要なき、ただ音を楽しめば良い、“わびさび”に似た、ゆったりとおだやか≒美しく穏やかな自然を愛でる?風情に非常に近い」。「じんわりとした、在り難さ?にも似ている」。「さて。ここから、分析的記述に流れ込むのではあるが、この音の流れ一連が、この本人の実力=(PartⅠの音)ならば、10回演奏して少なくとも6度くらいは、同じ☆水準 ☆←(好きな言葉ではないが)の、Sound・Playが可能なはずである」が、「後続のPartⅡのa、b、c、になると、見事に劣化を表し始めるのである」。「無論忘れてはならない事は、*これらは、Ad lib(あどりぶ=譜面無しの即興)Playである事*である」。「☆取り出す☆と◎流れ出す◎の●違い●の凡例として、挙げるなら、天才≒Bill Evans(びる。えばんす)寧ろ*極限に近い秀才*と呼ぶべきが近いと思われる、のPlayは、自前の力(取り出す剄)?=(Kung fuを積んでいる)⇔その研ぎ澄まされた習得能力・技能により、キースのPartⅠに*近し所*へ何時でも、行けるのである(10回Playしても、9割?は為すであろう)」。「さて、Keith Jarrett≒紙飛行機(↑この場合のみ)としてみるなら、風まかせ?、良い風が吹き(2-C風に言うならば、『来たーっ(`ぁ∀ぁ´)』と言うところだろう)、押し上げてくれれば、遥かな高みとやらに出会わすのである」。「それでは、何故、*劣化を順次示し始めるのであろうか?*に付いては、休憩を挟んで、再開する事とするのである」。「穏やかで、良い年になるようにで、締めておく」。「アイス・最中?」。「分かった分かった」。
2006年01月03日 16時13分15秒

 

◎もう一度、刻印しておく、『愛であれ真理であれ、☞飢渇し(求め)、解析(分析)する様なものではない☜』◎
// 多相次元解汰-診察室・(空想・特撮劇) e 【Dr-Critical・Strange・Loveの密室-注文の多い治療院?】
Karte・ №007 「はい、はい、はい、Splash-Mountain=(あるお方の必殺技ですね→担ぎ上げられ、脳天から、ほぼ垂直に抱え落とされる、と言った。実に “だいなみっく”で“パワフル”な男らしい荒技です)でも、一度きっちり決めて貰って、脳味噌から、イカレタProgramを全て叩き出して頂いた法が、真に直りも早かろう(Cynicalな笑いと思われます)」。と言う事で、早速、妖刀か魔剣の如き(常人には扱いかねる)切れ味で、病巣?を節介してみたい。「メスなど必要なし、素手で十分」。「心霊手術じゃありませんよねっ?(ここで、笑うとこですか?)」=カイファ・ハールカ。「笑止でついでに、たわけ者~、この誤時世に、そんな粘土Showなどね、この私がするはずも無い」。「どことなく、ロシアの怪僧・らすぷーちんに似ていらっしゃるようですので」。「あやつが、私に似ている」と言えば、『どちらが《正》で、どちらが《誤》になるのかなっ?』⇔西式はこの様な、不毛で無意味な妄想疑問?を追求? =(病癖・発露)する事が、→理性だの理論的だのと、得意になった子供の如く=☆どうだ!凄いだろう(妄念・活動体)☆。と呼称(故障?=誤訳?)しておる。そして完全に*信じ込んでいる(そこに救い無く)*。訳で、*正気のつもりの狂人でしかない(非常に有害で迷惑千番である、その確証は腐るほど存在している)*。↑【東式】なら多分こう言う、☞『どちらでも良い事だ』*そして、それで終わる*☜。◆(元よりその様な事柄は)追いかけもしない◆のである。以上で無形Kung fuを積んでいる者には、十分なはずである。「さて、次は【憧れ】について自論を述べるとしよう」。「憧れが、☆誰かに成りたいではなく、●あの様に為りたいならば可である」。「前者と後者では、辿り着くゴールが全く違うと言う事に十分留意しなくてはならない」。「ここの違い(どこが違うのか)は、自分で拙くとも、探し当てるべき事であるので」。「捕捉を付けたい所ではあるが、鉛筆は矢張りナイフか小刀を使って*自分で*削るべきだなっ」。『其れによって、何を学ぶと思う!』。「扱い方を良く知らぬ時には、怪我は付き物である、そしてそれは☆言語化する様な経験☆(西式はこの様な粗末事を、重大事とでも考えたがる)*でもない*」。が、「生命にとって大切な何か=(完全に非言語的)を確実に?学ぶはずである」。最後に、☞憧れは何れ、廃棄すべきもの☜であると言った事を忘れぬように、「道しるべを引っこ抜いて、持ち歩く様な者を見かけたら、⇒君は何と、其の者に、言うだろうか」。当人は言うだろう「俺にとっては、これは大切な道しるべなのだ、だからこうやって、何時も持ち歩くのだ」。「さて、貴方は、どう答えるのだろう~」。ここいらでお仕舞いとやらに、しておこう。signature-【¢】。「今日の実習は此れで終わりだから、ゆっくりと休むように」。との事です=カイファ・ハールカ。「慧眼・不遜は、必ず、前回示したTextについての、講釈(無限・武侠伝・開示)をするそうである」。♪-Sweet Patootie ♂-Sidney Bechet←~ネコ句会~のBGMです。
2005年12月30日 12時56分26秒

 

*無名詩人=「言葉の刺繍」* -知覚、認識、とやらの“根底”を問う-
◆GLIMPSE=垣間見える、一瞬の意味を問う◆ …絶望の純化≒限りなく透き通った光を映す水面。その眼、灯した(写した)、老い足る?若者?を見た、否、初老の婦人だったかも知れない(それは、器など問わない)。群れに蒸れを成す、無明固体群。為すべき(大いに疑問?致命的?)=(与えられた指令)欲求行為に従い(不可視の絶対服従)、突出(規格外)を恐れ、量産Sales品(如何わしい模造品)の平凡(常識?)を纏い(先を争い買い求め)、死せる骨芯に深く穿たれた枷の痛み(焼印?)を押し隠し。手の下しようなき、焦げ付く飢えと不満を隠し、平穏(正気)を装い(総て与えられた指示、従い、反抗は許されぬ)。蛇に成れないトカゲの類(使役体)が、地を覆う程に溢れている。カメレオンの様に擬態のみを繰り返し、その両眼は別々に有らぬ方向を、執念(復讐=去勢された事実へ)の眼差し(殺意)を向けている。蛇がその群れに(娯楽=歪んだ吐け口)を投げ出す、犠牲者とやらをそして異常な悲劇?、イカサマHUMANの群れ、喜んでその餌に集る(たかる)。使役家畜の欲求は固定化(調教去勢)に従う。蛇は言う「なんといっても、その方が扱いやすい=効率の問題=Zombie体のQC」。「脳・情動-宣託(洗濯?)㋳は、淫売と無法者を全力で間違いなく量産している」。正直に、壊れていた。脳足りん・Punks=シド・ビシャス。「もうこの世界は巨大なゴミ箱だっ、だから総て綺麗さっぱり、焼き払っちまおうぜっ」。微量なRealに、若き者達は頷いたのさ。この世界を疑う事は、多くの者?との敵対を示唆する。そして其れゆえ蛇は笑う。だが、*総てを*自由に出来ている訳でもない。*Screenの中に居るものには魔術は現実*であっても、Screenの外に確固としてあるものには、ただの目くらましにしか過ぎない。 ~無名・さぶりみなる・研究家、『擬似魔法効果解析書』より~
2005年12月25日 01時10分42秒

 

●既に世界はVISUAL-FRAMEによって、殆どが!MKうるとら・チルドレン世界● 
本当だったら怖いなぁ。(Digital・CountをReal・Moneyとして扱う連中は次世代?登場か)
さてさて。の「コンニチワか、今晩わ」、で始めるとしよう。皆さん元気かなっ。と言った感じでね、【♭】=~極楽亭・Beevan~による、*見事に!何の足しにも為らない?*。趣味の・不明-幻証哲学講座=お笑いヘボ・功座の(124)回㋱が、『またまた、何だ?こりゃ』、で始まる次第なのでした=ぴ。時は世紀末と呼ばれて久しく、大イベント的、大予言は悉く外れ、忘れ去られ。人々は「何だ、こんなもんか、つまんねー」と、常時・欲求不満(量産型・善人)の日々の真っ只中で。非日常的娯楽(異常事件)を、心待ちにしながら、映画(1984世界?SHOW=現実?とfiction?が何時の間にやら、あやふーやぁ~状態)鑑賞法によって、総てを鑑賞している(させられている)この誤時世に、バガヴァッド・ギーターなる御伽噺の本を枕に、天下泰平の夢を「なちゅらる・だうん」で楽しんでおるのである。さて~ネコ句会~の御話しとは?。「グライダーや紙飛行機」についての一石である。「これらは自力動力を持たない代物である」つまり、風任せ貴方次第と言った、誠に結構で、不甲斐ない?とも言えるものである。「西式≒(Neo・Babylon・Unit)は。こう言った物を、生理的に嫌悪し貶める心的態度が欠陥品の保証書の如く備わっているのである」。のだが、グライダーの場合(魅力)は、*自力動力を持たない *と言った魅力=趣(おもむき)?とは、分かる者にしか分からない魅力である。そこには、常に何処か、謙虚さ≒(何となく、じんわりと感じる“控えめの心持ち”)が在して居らぬと、空行く鳥の気分に合一することは適わずと言ったように、で宮沢の堅持(あながち、誤訳でもない様な気もする)くんの「僕の体を百辺焼いても、なんたらかたら」なる言葉が在ったようであるのだが、一見これらの台詞は美しく感動的ではあるのだが、人として、生まれ来た存在が、世界や他の人を救済するなる考えは、【傲慢】な訳である。自らを治めきって居ないが故に。容易に修羅へとその身を変える。孔子の系列であろうなぁ。美しいお題目が先にあり、他の者達はそれに合わせなければならない(殆ど強制的?)。故に、青牛のじいちゃんに、お話にならない馬鹿たれと扱われるのである。「宮沢賢治を何度か取り上げてはいるのだか、これも過程指標の一つお話(例)であり、何時までもそんな所で、足踏みしているようでは、まだまだ、と言う事である」。「愛や理想や救済などを掲げ、善意の者であると胸を張っているようでは、どこぞの管理結社の言っている事や、活動展開している事と、それ程違っていないという事に気がつかないものかなぁ」。「意識しているより深い領域に、Babylon・Programは、根ざしている事を、意識しておかなければ、まだまだ。と言うことである」。▲+▼>三角目玉?による。摺り合わせ・噛み合わせ(何の事を言っているのかの解説はない)の凹凸がほぼ合致するように、その寄生Programは、構築されている、と思われるぞっ。賢者の議定書を書いた様な存在?が、そんな甘い汚染Programを投下する訳もないであろうが」。お知らせ=この不明領域の刻印掲示は、古い物から順次、廃棄(消去)していますので、保存を忘れると一期一会という事になります、悪しからず」と言うことです=極潜龍・ぴぴんたす。♂-Chet Bakerの♪-Neverでお別れです。また自戒の不定期放送で、お会いいたしましょう。
2005年12月18日 22時43分25秒

 

◆‥もひかん・ロボ +〔・・〕+ のRandom・JAM・Play‥◆
●そもそも、古典インドの稀有の乞食の悟りとは。ご本人が救われたい為に求めたもので、初めから、他を救済する為などのものでなかった事を、忘れないようにと言う事です。●
ビー君ビー君、「はい、回線は繋がってますか?(こんな辺境チャンネルはしらないかもねっ?)」。では、Full-Contactでまいります。「⇒表層擬態寄生自我の崩壊は、⇒*幻影の恐怖と不安感を⇒伴うもの*であり、⇒何ら☆恐れ=(それは、擬似自我≒帝國Program?の寄生存続の恐怖であり)る事はありません(*貴方が認知し得ない、貴方の【本質は無傷】*で、一切心配はありません)」。「寧ろこれからが、正念場(ほぼ相反する、*二つの Programの併用使用準備段階*といった過程と思われます)と言う事です」。「廃棄されるべき擬似自我が崩落・廃棄処理している*移行過程*ですので、当人には、パニック(今まで拠り所としていた、擬似自我=帝國Program=量産型粘土体Program依存からの離脱)に近い状況なので、どうすれば良いのか判らないのでしょう」。「しかし、*そこで終わりではありません(総ては過ぎ去る=例・既に、貴方は夏休みの宿題提出の悩みは存在しないはずですね?)*、注意点としては、イカサマ帝國Program(いままで依存使用)を、完全にDeleteしておかねば成りません(後々で、ここの所が、仕上がりに大きく差を付ける事になるのです)、この様な*地獄巡り=(心理定点を失っている状態で、安定点を早急に確保したいと言った、もがき、及び葛藤)であることは確認済みです」。「めまぐるしく変化を繰り返す情況に対して反射判断などを繰り返す(実に吉外じみていると言うよりも、狂人原理 Programであることは明白)様な、イカサマProgram(西式)を完全廃棄して、◆(取り合えず表記・表現)→語ることの出来ない、人間の最も深い所の、玄質?Program(根源≒諸行無常?)に移行することを本義とすべきでしょう=【自然に学べ】(書籍や情報など、最早この様な状態では、完全に何の役にも立たない)」。「そして、その更に先において、屑=Junk・Programを便宜使用として、最使用を何時でも出来る事を、心がけましょう(大切なのはどちらを主として、そして便宜として従を使用する《両用運用》)」。「【迷ったら、自然】、人の話などに耳を傾ける(救いを求める)のは、ずっと後で宜しいのです」。「量産型及び他人には、その様な情況(*内部幻影無間世界*=バビロンProgram=パリサイ方式からの離脱=内面の地獄めぐり)は認識出来ませんので、語っても不毛で徒労なだけです」。「*自己治療再生*といった事に成りますねっ」。「必ず、諦めず待っていれば、◇変化が現れる◇ので、焦らない、興奮しない、比べないを心がけましょう」。「諦めれば貴方の負けです、沙汰ニスト(誤訳)に、あざけられてお仕舞い(本来、あやつらに笑う資格など、一片もありはしない《確証済み》)」。「粘土人形(管理飼育)の群れの中で、人間であろうとすれば、今更ながら、過酷、冷酷な情況世界であるとの認識は、当然あってしかるべきですねっ」。「以上の様な、Reportが届いていますので、掲載をしておくしだいです」。「最後に、*人間は迷惑を掛けたり掛けられたりして、生きている生き物*ですので、かっこつけて(それでも気取るゆとりは在るのねっ)、《人様に迷惑は掛けたくないなんて心理 =矜持さえ》、☜誤りなんですねっ」。「◆拘りの数だけ、悪魔のオモチャになりやすい◆のです」。「悪しからず」と言うことのようです。○。「翻訳している私も良く判らない~のですが」。「明日は晴れるといいですねっ」。「日向ぼっこでもしてみましょう」。「さて、貴方は、本者の馬鹿=大いなる愚者【ZERO】になれるかなっ」。「なれれば、多分総てに勝てる事でしょう」。「足りなく思えたら、自分でなんとかしろ」【♯】。
2005年12月12日 23時43分52秒

 

●変則版・冒険デムパ大王となるか、ならぬかは、気分次第?●
さて、今宵は、前後編の2部構成である。ゆるりと、続けよう。「(ここが、Point)☞語るほどに、自ら、扱いきれない、概念迷宮に落ち込む☜のである」。「語るたびに、使用する度に概念論説は移動変動しているにもかかわらず、始まりの時点での討論を続けている心算が、存在している故に、実質は情況移動しているにもかかわらず、列車の窓から実を見送った風景を語る如き☆破綻を示ざる事を得ない(語るほどに)☆のである(上手く取り繕える事ができるなら、粘土世界では、Businessやら、なんやら?に、成りうるではあろうが)」とまぁ、この様な解説気味の、不規則発言?に生るのではあるのだが、※誰かの気づきにはなるであろう?」。「論説や原理原則などといった物に*拘る(必要とする)のは*、その発言固体に*隔されたEgoによる、隠された欲求執着が存在*している証(同時に)である」。『願望それがEgoに縁らないものであるなら(どのようなものでも)可であり』、Ego=(どう意味で使用しているのかは、受け取り方次第)が一欠けらでも在りうれば、☞絶対に、大いなる誘惑者(粘土獄界世界= ある意味でのGame・World?の創造主でもあるGame・Masterに、打ち勝つ事は不可能である)」。「何しろ、ゲーム・マスターは、そのゲーム・世界の神?であり、(先んじてある総て)である!(数字で語るなら、総ての実数の始まりである【1】とでも表記しておこう)」「Playerは、その世界のGame・Ruleに従わざるを得ない、故にそのGameにおける、Game・Masterには、到底、克てない(対峙する事さえ出来ない)、存在している(立脚している)、*フィールドそのものが別次元なのである*からである」。「以上の考察により、言語論理や論説の追跡限界が、存在する事に、* 諦観*しなければならないのである」。「プレイヤーは、常にフィールドにおいて、刺激を受け反応し、『Gameであるなら、サイコロを振るように、与えられたコマンドの何んらかを選択決定する反応しか、許されていない』と言った、実に不毛な反復処理作業は、西式Programの得意とする所である」。「故に、そんなものを使用しているようでは、無限に近い時間が存在していようが、全くの無意味と、思われはしないかなっ?」。「Gameの種類も色々であり、Userは多分自分の望みに沿った、Gameを楽しんでいるはずである」。げーむ(遊戯)の噺をしていると思っている、リスナーは、ここには居ない筈であるなっ」。「『よろしい』という事で、出鱈目にも似た次回の不定期LIVEを、待ってて欲しいものである」。「寒くなっておるようなので、健康には気をつけ、過ごされるようにと、告げておこう」。Signature-【♭】 「今回は123の数字が並びますねぇ~」。「在り得ない、もしくは、存在しない意味を探るのも暇つぶしには・・・」
2005年11月30日 22時04分12秒

 

●少才を誇り(拘る・頼り)としているようでは、本質(玄質)に辿り着く事は、まず無い●
それでも、お昼時には、ほんのり溢れる暖かい日差し、すずめサン達も、おだやかな暖かき光の如く囀り、コーヒーにしろお茶にしろ、味わい深く、頂けるといった、*穏やかなくつろぎの時間*を、深夜のこの時に思いを馳せ・・・。空前絶後か天変地異か明鏡止水の如き(おいおい)、お間抜けと同意の、ゆるりとした停滞感と、閑居して不善なさずの(小人で無き者のみに、許される)。まったりと、で有~無の。で始まる※≪CHANNEL~MYSTIC~ZERO≫≒笑う案山子劇場が、『脱力感・満載』の賞味期限?で始まるのは、*(何も語っていない?に等しい) ≒趣味の・不明-幻証哲学講座=お笑いヘボ・功座の(123)回㋱な訳ですね=極潜龍・ぴぴんたす。【♯】⇒「残念!ワーグナーは、最悪であるなっ、こんなものを浴びる程聞いていては、【人としての元質】が破壊される(参考音源=(ニュルンベルクのマイスターなんちゃら前奏曲+ローエングリン第1とか3など)」=慧眼・不遜。「その理由は?と、素朴な問いを、どうでも良い気分で」=P。「☆感情ばかりに、訴えかける☆(高揚及び熱狂への累積促進効果)= (綿密に効果計算された様な、高級合成薬物とほぼ等しい)音楽であるからである」。「そうそう、音楽ついでであるが、*自壊のText(とりあえず教本?)*として、☞KEITH JARRETT (きーす・じゃれっと)の、/THE-KÖLN-CONCERT(ケルン・コンサート)の使用を予定しているのである。酔狂な本・Listenerは、宜しければ、⇒先行視聴をしておいて頂くと、“次回の噺?”がさらに楽しくなると思われる」。「予告どおりに本編が発動する確率は、あまり高くは無いのですが?」=極潜龍・ぴぴんたす。「さて、今宵は【Kung fu=功夫=くんふー】について、意味不明な動話?を語るの“こころ”なのである」。「Kung fuと来れば、最もPopularなのは、中国武術となるのではあるが、別に武術だけに、Kung fuなる詞(ことば)は、使用される訳ではなく、●いかな道においても、同様に使用されるもの●である事を、告げておきたい」。「例えば、『風姿花伝』なる*達人(功夫を積んだ者)の書*であるとか」。「植物(農作物)に話しかける、と言った、農業従事者とか、この辺りの、*事の本質を非言語的に解している方々*は、浅い深いは在るにしても、功夫(くんふー)を積んでいるのである」。「ここで、明敏なある資質を持ちえている方々ならば、観するはずの事は」。⇒「★西式・Program★では、永遠に、そして。決して、●その語ることの出来ない何か●を、解し得ないであろう」。「例外的に、在るとすれば、◆Vocalの無いJazz◆←(*どうにでも取れる表記*、これが結構深い)に置いてのみ、*その可能性が存在していた*と言った事実である(断定口調だなぁぅ)」。これにて、前編の終了。2部の後編は、この後すぐ。
2005年11月30日 22時01分37秒