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☩無極?列至伝≒☉解答×覧舞☉☩

☉序章編☉

太極には、☷陰(イン)☰陽(ヤン)の、二つの極の力の働きが、図相化されている。

【功歩・列伝】☞☯一☯

❖万物生成←経剄控❖ 《用架☉行功の*壱*》
※※※※
霊は古来より生命や精神の根源とされてきました。
この世界が火(霊)と水(物質の原型)の交わりで生まれるというだけでは
霊が何であるのかはまだ不明確ですが、グルジェフの分類を参考にすれば、
これまで霊とされたものはその性質から判断して
密度の薄い水(物質の原型)からなるものだったと考えられます。

グルジェフの「超人思想」の謎
http://inri.client.jp/hexagon/floorB1F_hgr/_gurdjieff.html#05

宇宙に存在するあらゆるものを、振動密度/物質密度という考えで分類

グルジェフは、宇宙に存在するあらゆるものを、振動密度/物質密度という考えで分類した。

つまり精神や霊も、いかなるものも基本的に「物質」であり、
ただそれは我々が手で触れることのできる物質と比較すると、
振動密度が高く、そのぶん物質密度は低いのだ、という考え方だ。

振動密度と物質密度は反比例の関係にある。
我々の肉体よりも、感情はもっと振動密度の高い物質だ。
更に思考はもっと振動密度が高い。それでも、やはり感情も知性も有限の物質なのである。

以下、『私は宇宙人を知っている』より抜粋

***************************************

グルジェフは振動密度/物質密度の異なる物質を「水素番号」で識別した。
といっても、いま一般に知られている元素の水素とはまったく異なる概念のようだ。

水素の番号は数が小さいものほど、振動密度が高い高次元の物質で、
数が多くなるにつれて、一般にいう物質的な姿になってゆく。

◆水素1は、この宇宙で分割不可能な、絶対といわれる物質。
◆水素6は、高次思考能力の物質といわれる。
だが、この思考能力は、ふつうの知性と違い、
象徴を象徴そのままに考えることのできる知性で、
神話はこの知性で語られているという。
生命の根底にある本当の意図とでもいうべきだろうか。

◆ 水素12は、高次な感情能力だといわれる。
これは宗教的な感動や、言葉で語りつくせない強烈に神聖な感情などに象徴される。
一般の人間の感情も知性もこの強烈さについていけないので、
たとえば瞑想家などもこの水素の体験をすると、
一時的にエクスタシーに飲み込まれ、言語能力を喪失する。

◆水素24は、グルジェフ体系になじんだジョン・C・リリーの言葉を借りれば、
専門家的悟りの意識だといえる。たとえばあるひとつの仕事に練達した人は、
必ず常識では納得できない不思議な能力を持っている。
レーサーが驚くべきスピードで、すでに脳の認識力では追跡できないはずの
路面を冷静に観察し、
正確に車を運転する能力などだ。
また優れた武道家や兵士が、あるとき砲弾が自分に向かっているのを
肉眼で見たり[感知・反応]する、という例もあげられる。
一瞬でも通常の「考え込む」状態に入ると、この危ないところを綱渡りするような
優れた能力は失われる。レーサーはその瞬間事故を起こす。
人はひとつの仕事に熟練することで、この水素を蓄積する。独特の高速の意識だ。

◆水素48は、一般にいう思考能力だ。
考え、分析し、語るというレベルのことだ。ジョン・C・リリーは精神の無風状態だという。

◆水素96は、濃密な感情、たとえば怒り、嫉妬、憎悪など。
われわれが、この物質に内面的に同化せず、外的な物質として観察する場合、
これは“気”や、動物磁気として観察される。また光の速度もこの96だ。

◆水素192は、空気。

◆水素384は、水。

◆水素768は、私たちの食べている食物の水準に近い。
水分の多い栄養の少ないものは水である384に近く、
フレーバーの多い堅い食物は1536に近くなる。

◆水素1536は、樹木。

◆水素3072は、鉄。

グルジェフの分類だけでは振動が何処から生まれるのか分かりませんが、
それを生み出しているのが元つ神と考えれば火水伝文の内容と一致します。
これまで霊とされてきたものが密度の薄い水(物質の原型)であり
霊体と呼ぶべきものであるのなら、
純粋な意味で霊という言葉が当て嵌まるのは霊体をも生み出している
元つ神そのものとなるでしょう。

「宇宙は霊の霊と物質とからなつてゐるぞ。人間も又同様であるぞ。
宇宙にあるものは皆人間にあり。人間にあるものは皆宇宙にあるぞ。
人間は小宇宙と申して、神のヒナガタと申してあらう。
人間には物質界を感知するために五官器があるぞ。
霊界を感知するために超五官器あるぞ。
神界は五官と超五官と和して知り得るのであるぞ。
この点誤るなよ。
霊的自分を正守護神と申し、神的自分を本守護神と申すぞ。
幽界的自分が福守護神ぢや。本守護神は大神の歓喜であるぞ。」
(日月神示 『冬の巻』第一帖)

これまで霊とされてきたものが密度の薄い水(物質の原型)からできているのなら
唯物論がこの世の本質を表わしていると思う人もいるでしょうが、
火(霊)の響きがなければ水(物質の原型)は形を成さないのだから、
やはりこの世の原則は霊が先の霊主体従です。
水(物質の原型)の密度と共に火(霊)の響きも振動密度として
ものの形成に関わっていると考えれば分かり易いと思います。

「神の元つ仕組みの大事な基申すは【火の御ハタラキ】
先にタチ有りて後に【水の御ハタラキ】生ず。
これであるぞ。
簡単でござろうが。
なれど、こに、この世の総ての響きがあるのじゃ。
総ての秘密がござるのぞ。」(火水伝文 202)

本当の霊は元つ神そのものであり火(霊)の響きが万物を生み出しているのだから、
すべての存在の根元は神に繋がっています。
中でも人間は元つ神が自らを範型として生み出した存在ということです。
そのため人間は主体的にこの世の物事を判断できる能力を持っているようです。
人間は元つ神の分身であり、その内奥では元つ神と繋がっているのなら
神と人は同じ存在ということになります。

「全大宇宙は、神の外にあるのではなく、
神の中に、神に抱かれて育てられているのである。
故に、宇宙そのものが、神と同じ性をもち、神そのものの現れの一部である。
過去も、現在も、未来も一切が呼吸する現在の中に存し、
生前も死後の世界もまた神の中にあり、
地上人としては地上人の中に、霊界人にありては霊界人の中に存在し、
呼吸し、生長している。」(日月神示『二日ん(ジシン)の巻』第五帖)

「各々の世界の人がその世界の神であるぞ。
この世ではそなた達が神であるぞ。
あの世では、そなた達の心を肉体としての人がゐるのであるぞ。
それがカミと申してゐるものぞ。
あの世の人をこの世から見ると神であるが、
その上から見ると人であるぞ。
あの世の上の世では神の心を肉体として神がゐますのであつて限りないのであるぞ。
裏から申せば、神様の神様は人間様ぢや。
心の守護神は肉体ぢやと申してあらうがな。
肉体が心を守ってゐるのであるが、ぢやと申して肉体が主人顔してはならんぞ。
何処迄も下に従ふのぢや。
順乱すと悪となるぞ。
生まれ赤児ふみこえ、生まれ赤児になつて聞いて下されよ。
そなた達の本尊は八枚十枚の衣着ているのぢや。
死と云ふことは、その衣、上からぬぐことぢや。
ぬぐと中から出て来て又八枚十枚の衣つけるやうになつてゐるのぢや。
判るやうに申してゐるのぢやぞ。
取違ひせんやうにせよ。
天から気が地に降つて、ものが生命し、その地の生命の気が又天に反影するのであるが、
まだまだ地には凸凹あるから、
気が天にかへらずに横にそれることあるぞ。
その横の気の世界を幽界と申すのぢや。
幽界は地で曲げられた気のつくり出したところぢや。地獄でないぞ。」
(日月神示 『白銀の巻』第一帖)

「神も人間も同じであると申してあろう。
同じであるが違ふと申してあろう。
それは大神の中に神を生み、神の中に人民生んだためぞ。
自分の中に、自分新しく生むときは、自分と同じカタのものを生む。
大神弥栄なれば、神も弥栄、神弥栄なれば人民弥栄ぞ。
困るとか、苦しいとか、貧しいとか悲しいとか云う事ないのであるぞ。
理ふめと申すのは、
生みの親と同じ生き方、同じ心になれよと申すことぞ。
人民いくら頑張つても神の外には出られんぞ。
神いくら頑張つても大神の外には出られんぞ。」(日月神示 『夏の巻』第七帖)

「祈りとは意が乗ることぞ。
霊の霊と霊と体と合流して一つの命となることぞ。実力であるぞ。
想念は魂。魂は霊であり、霊の世界に属し、霊に生きるのであるぞ。
ものは霊につけられたもの、霊の霊は、霊につけられたものであるぞ。
ものにはものの命しかない。
真の命は霊であるぞ。
生命のもとの喜びは霊の霊であるぞ。
霊の霊が主ざと申してあらう。
奥の奥の奥の・は大神に通ずる・であるぞ。喜びであるぞ。
・あるために人間となり、人間なるが故に神となり、
神なるが故に喜びであるぞ。
他のいきものにも・はあれど、外の・であるぞ。」(日月神示 『黒鉄の巻』第三十二帖)

「同じ神の子でも本家と分家とあるぞ。
本家は人間ぢや。
分家は動植物ぢや。
本家と分家は神の前では同じであるが、
位置をかへると同じでないぞ。」(日月神示 『秋の巻』第一帖)

「考えること、意志すること、行為することの根本は、肉体からではない。
霊的な内奥の自分からである。
この内奥の自分は、神につながっている。
故に、自分自身が考え、意志し、行為するのではなく、
自分と云うものを通じ、肉体を使って、現実界への営みを神がなし給うているのである。
其処に、人が地上に於ける司宰者たる、
またたり得る本質がある。」(日月神示 『二日ん(ジシン)の巻』第十六帖)  
※※※※

❖万物生成←経剄控❖ 《用架☉行功の*弐*》
※※※※
ユダヤ・イルミナティの新世界秩序の陰謀を認識する方法は
まず陰謀についての知識を得ることです。
ただ陰謀についての知識がなくても鋭い霊感を持つ人なら、
直感的に新世界秩序推進の母体となっている西洋文明に人間の本質への背理を感じて
当人が意図しなくても自然と新世界秩序の陰謀に加担することを拒否するのだと思います。
日本では孝明天皇陛下がそうでした。

孝明天皇陛下の遺志
http://hiroshima.cool.ne.jp/h_sinobu/koumeitennnou1.htm

だから新世界秩序の陰謀を認識するには知識よりも霊感のほうが重要なのだと思います。
しかし現代のほとんどの日本人は西洋文明の唯物主義的な価値観を
普遍的と心から信じて霊感を枯れさせてしまっています。
そのため新世界秩序の陰謀に関する知識を得たとしてもそこに真実味を感じないでしょう。
それでは意味がありません。そこで人間の身で限界もありますが
万物生成の原理から霊とは何か、人間とは何かを問い直してみます。

現代人は自然科学のものの見方が身に付いているから
この世のすべての現象は物質の働きの現われであると考えています。
そうなるとすべての生命を生み出す共通の原理はないということになります。
しかし物質の働きは何故、生まれるのか、あるいは目に見える世界では
孤立しているように見えても根底ではこの世界が循環を保っていることなどを
考えていくとすべての根源にありすべてを生かしている存在、
つまり神を想定しなければならなくなります。

日月地神示
http://www.geocities.jp/oneness3456/hifumihp/index.html

「みんな神を取り違うておざるぞ。みんな、神とは、何か。判らんと思えば判らんのう。
そなたは、何故に生きておられるか。申してみよれ。何故に、呼吸しておるか。
心臓が動くのは何故じゃ。医者も判らんのう。判らんものに聞いても益々判らんのう。
どうじゃ。神の申すこと。聞いてくれぬか。

神は、人にはかからんと申す御偉い殿。神は、そなたにはかかれんのう。
判らんものは判らんで良いのじゃ。素直に聞くが一等であるぞ。
霊人ともなるのぞ。何にでも為れるのが神でもあるぞ。
木も石も、火も風も水もみなみな神の姿ぞ。
これで判りたか。」(日月地神示 『み』の巻)

「宇宙の総てはこの神の現れであり、一面であるから、
その何処つかんで拝んでもよいのである。その何処つかんで、すがつてもよいのであるぞ。
水の流れも宗教ぞと申してあらう。総てに神の息、通ふているぞ。
一本の箸拝んでもよいのぢゃが、ちやんとめあて、よいめあて、きめねばならん。
内の自分に火つけよ。心くらくては何も判らん。」(日月神示 『春の巻』第二十二帖)

では神をすべての存在の初めとして万物生成の原理を考えます。
火水伝文の次の箇所に書かれてあるものがその原理に当たると思います。

「この世に在りて有るものは、木の葉一枚、髪の毛一本、砂利粒一つ、
神のものにてあらざるものは何一つあるは適わぬ事なれば、
人民様のものは何一つ有りはせんのぞ。
無から有を産み出す適わぬ人民様でござるから、
元つ資源の【有】持ちて、有なる物々作りておるのでござろうが。
汝等支える【元つ有】このまま一挙に引き上げられて、汝等いかで生き行く申すのぞ。
そ程大事な元つ天地のご苦労を、身欲利便の好き放題、勝手に持ち荒らしたを泥棒と、
申すも尽きせぬ悪き業でござろうが。そを、こは我のものじゃ。こも我のものじゃ等申して、
神に無断で勝手に所有致した挙げ句、売り買い致して、
相い争うて息も出来ぬ程の我利我利の世と成さしめしもうたではござらぬか。
いかで天地を売り買い出くるのぞ。
この方、誰ぞに売りた覚えも無くれば、誰ぞから買うた覚えもござらんぞ。
無から創りたのじゃ。元つ火の響き鳴り鳴りお出ましなされてお鳴りに成られたのであるぞ。
大神様の活き尊き響きを汚すも好い加減にしなされよ。」(火水伝文 179-180)

引用した文中では天地を
「無から創りたのじゃ。元つ火の響き鳴り鳴りお出ましなされて
お鳴りに成られたのであるぞ。」
とあります。私はこの元つ火の響きが万物を生成している原理を
表現していると考えています。
つまり万物生成の原理は響きです。
複雑多岐なこの世界を生み出している原理がそんな簡単なものの訳がないと
思う人もいるでしょうが、
生命エネルギーの概念として使われている波動も簡単に取れば響きだし、
創成以前の静止した宇宙の中で世界を創造するために
最初に行えるのは波を起すことではないでしょうか。
そうすることで宇宙に動力が生まれます。
そうなるとやはり響きが万物生成の原理だと思います。

波動 (オカルト)-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A2%E5%8B%95_%28%E3%82%AA%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%88%29

「吐く息や雨粒から、山あるいは10トントラックにいたるまで、
あらゆるものが振動するエネルギーであることが分かるだろう。
ゆっくりと振動するほど安定しているように見え、
速く振動するほど空気のように透き通って見える。
さらに速く振動すると、私たちの物質世界の知覚では感じられなくなり「消える」のだ。
何の変哲もない車輪のスポークを例にとろう。
ゆっくり回転しているとき、スポークは非常に安定して見える。
しかし、ある一定のスピードで回転すると、スポークはぼんやりとしてきて、
もはや「安定」などしていない。それどころか、スポークは前に回転しているというのに、
車輪が後ろ向きに回転しているかのような幻覚さえ見えるのだ。
目に見える幻影は、「大いなる幻影」のわかりやすい一形態にすぎない。」
(デーヴィッド・アイク『竜であり蛇であるわれらが神々』401頁)

では元つ火の響きの火は何を表わしているのかを考えます。

「〔元つキ〕解かるか。汝等、陰陽知り居るか。
暗きことが陰でないぞ。明るきことが陽でないぞ。
言の葉に囚われて取り違え致すなよ。
陰と申すも竪のことぞ。火の御守護ぞ。
陽と申すも横のことぞ。水の御守護ぞ。
元つキ(気)成り成せる元が火水(陰陽)なるぞ。
火水(陰陽)マ十字に結ぶが産土力ぞ。これ元つ神の尊き御ハタラキなるぞ。
これよりいずるが〔元つキ〕なるぞ。これ始源の力ぞ。
竪横マ十字に結び合わたざれば、産土力ないのぞ。
産土力なければ〔元つキ〕もないのじゃ。これ解かるか。
神なきところ何もないと申して居るのじゃ。
されば〔元つキ〕あるによりて万物万象成り成りてあるであろうが。
善人、悪人別け隔てなく、
火水(陰陽)の産土力のお陰持たせて居るであろうがな。」(火水伝文5-6)

「真釣りの初めは神ざ申すこと、ハラに入れて下されよ。
神の初めは真釣りざ申しても善いぞ。
神の基は火と水の、ふたつのハタラキ真十字に組み結ぶが基なり。
 火のハタラキと水のハタラキの真釣りが、
神のハタラキの基じゃ申して居るのぞ。こは万古不易の神法なるを忘るなよ。
神も含め汝等も、万象万物これあるにより、ありてあるを、ス直に知りて取られて下されよ。
 火と水の真十字に組み結んだ中心を【真中】申すのぞ。
こが万象万物を産み有無ところ、神、無限力徳の御座であるぞ。
汝の真中も同じ御座なるを知りて下されよ。
スミキルお土のハタラキ現れて、元つの響きの産土の鳴り出るところじゃ。
 善いか、火[|]と水[-]が真十字に組み結びた素型[+]を火水、カミと申すのぞ。」
(火水伝文49-50)

霊魂はよく炎に例えられるので引用文中にある火は霊的なものを指していると思われます。
そうなると火の対として使われている水という表現は物質や物質世界などの
目に見えるものということになるでしょうが、
そこにはどのようにでも形を変えるものという意味もあって
水と表しているのでここでは素粒子的な意味での物質の原型となるものと
捉えるべきではないかと思います。
気もこれまで生命エネルギーを表わす言葉として使われてきましたが、
気と呼ばれてきたものは元つ神から発せられる火(霊)の響きと水(物質の原型)が
結び合わされることで生まれる火水(カミ)の響きであるようです。

「【火の位】、【水の位】申すは(霊(ヒ)の座、体(ミ)の座)が組み結びた構えにて、
現しなさる御ハタラキの事を申すのであるぞ。
火の御ハタラキであれば、火の位。水の御ハタラキなれば、水の位。
それ由、汝等も火の位、水の位、双方持ちて居るのぞ。
キチリ区別タテワケ致して下されよ。」(火水伝文 215-216)

「【真釣り】申すは【正位】の【霊主心従体属】でなくればならぬ。申して居るのじゃ。
汝等は《身欲》を基に、魔釣りて生くるから、
【霊主】であるべき火の位に《身欲》が居座りて、
心を曇らせ従わせ、《身欲》の思いであろうとなかろうと火の位の命なれば、
水の御ハタラキは魔ス直に組み結ぶ由、
ケガレをハラムものばかりが産み出される様になりてしもうたのじゃ。
水は火の位に真ス直な御ハタラキなれば、
水の御ハタラキを責めむ理由はどこにもござろうまい。」(火水伝文 220-221)

「水の御ハタラキが、上から顕す表のハタラキ〔△、陽の構え〕鳴るを知りて下されよ。
水の御ハタラキ申すは、三なるぞ。顕なるぞ。体なるぞ。地なるぞ。行なるぞ。
水の位に座されます御力徳におわします。万象万物【成化】の御ハタラキにありて、
至慈至順の御ハタラキにてごぎるよ。こは母の御役じゃ。
真釣り顕すご苦労がその基じゃ申して居るのぞ。火の位の響きを受けて、
どんな事でもマス直に形に結び顕し下さる、否と申さるる事の無い響きにてござるのぞ。
自らの意にてカタチを顕さるる事の無い、至従至順の極みにておわす由、
総てを顕すお力をお持ちなのじゃ。こは解かるでござろうが。我欲がありては適わぬ事ぞ。
 水を見やれよ。与えられある器に従い。
言挙げもせず、自らの尊きを汚されありても、逆らう事の全き無いまま、
唯ただ尽し切る至順そのものにござろうが、
至慈ある由の至順にてあるぞ。
ス直が総てを顕し育む尊き型示しにござるよ。」(火水伝文68-70)
※※※※

❖万物生成←経剄控❖ 《用架☉行功の*参*》
※※※※
人間が神と同等の存在なら何でも好きなことをしていいのかといえば
そう単純にはいかないみたいです。
神の力を出せないようでは元つ神の分身といえども神に成ったとは言えないようです。
そして現在の日本人は神の力を出せていないそうです。

「日本の大変が酷いのは上に立つお偉い様方、ヒノモトは《元つキの国》なるを
『あやま知』に惑わされすっかりだまされ忘れ去り、
神気息も出来ぬほどにケガレ気枯らしてしもうたが由なるぞ。
汚してはならぬ元つ神のご神体でありたのじゃ。
汚したるご無礼、末代ワビつると申せど取り返しのつかぬ事でありたのじゃ。
一度は日本はもう潰れたと、誰もが思うひどき有りざまにせなならぬ。
神も辛いがこれも人民様にマコト無きが由ぞ。
マコト無き所にマコトの神は降りぬのぞ。」(火水伝文 10)

「人が神なるお仕組みは、元つ真釣りに依り立つが、
唯一叶うるミチなれば、真先に身欲を控え捨て、
外した真釣りを取り戻し、真釣るマコトに帰一するが事にてござるのぞ。
今までの世でありたなら、失敗致しありても次の世に賭けるが出来たなれど、
こ度は後はないと、くどう申して居ろうがな。
こ度はどうありても、神のコトワリをハラの真中に据え立てて下さらねば、
至るは叶わぬミロク代じゃ申す事、解かり取られて下されよ。
遂には『恐れず好きな事を成し行きても良い時節になりた』申す者出て来るぞ。
そは『総てを好きな様に成されても何のご心配も無きが証は、
汝等ご自身が今の今でも完全な神であるからぞ』と申す事にてあるのぞ。
ちょっとでもご苦労を成された者なれば、何を馬鹿なと一笑に伏されも出来ようが、
今世にありて、老いて居ろうが若くあろうが、
マコトのご苦労を知らぬ者いうは、どんな時でも安楽な道しか歩めぬ者にござるから、
ご都合の宜しき道なれば、後先解からずついて行くが見えるによりて、
この方は心配致すのであるぞ。
それ由、今今にくどき思われる程に注意致し居るのぞ。
解かりたでござろうが。
身欲の事はそのままに形ばかりの小手先の、ご自身の神成る基も知らぬ人知にては、
末は滅ぶしか無いが世でござるよ。
汝等皆々、神と真釣ろえば神と成るのじゃ。
早うそれに気付きありて、いずれケガレを出さずとも、何でも出来るものと成りて下されよ。
汝等の一力で神成れ、申して居るので無いから安心致すが善いぞ。
なれど汝等が真釣りに向こうて下さらねば、叶わぬ事じゃ申して居るのぞ。」
(火水伝文 40-41)

「汝等、始源の時この方と共にありたのぞ。光輝そのものでありたのじゃ。
汝等その時、万物万象生かし活かせしチカラと共にありたのぞ。
マコトそのものでありたのじゃ。
なれど、光幸はう神代の末期、汝らこ度の深因なる囚われの病みにかかりて
カムハタラキ成せなくなりたのじゃ。汝等の真ハタラキ、闇を光に不秩序を秩序に、
不調和を調和に転質転換なさるマコト尊きカムハタラキでありたのじゃ。
ここそすべての鍵なるを知りて下され。
汝等の取り違え居る善悪のハタラキあるも自由なる真姿も、
転生生じたワケも汝等が見失うたマコトのすべて解き明かすカギあるぞ。
そは汝等本来のマハタラキに関わりて、現れい出たるが由なるぞ。」(火水伝文 26-27)

人が神と成り神の力を出せるようになるにはどうしたらいいのかということは
人間の力で説明できるものではないので日月神示や火水伝文を読んで
それぞれが感じ取ってもらうしかありませんが、
人が神の力を喪失した原因については何とか分かる気がします。
それは言葉が一番大きな原因となっていると思います。

「神と人の和は神よりなさるものであるぞ。
本質的には人間から神に働きかけるものでないぞ。
働きかける力は神から出るのであるから人間から和し奉らねばならんのであるぞ。」
(日月神示 『黄金の巻』第六十八)

万物を生成する原理は元つ神から発せられる火(霊)の響きですが、
人間が発する言葉も音の響きです。おそらく言葉の元は火(霊)の響きそのものであり、
それが霊界から人間の霊魂に伝わることで
目に見える世界に音の響きとして生み出されるのだと思います。
火(霊)の響きが水(物質の原型)と交わることでさまざまな響きが生まれ、
その変化が言葉として伝わってくるのでしょう。

「地上界に山や川もあるから霊界に山や川があるのではない、
霊界の山川がマコトぞ、地上はそのマコトの写しであり、コトであるぞ、
マが霊界ぢや、地上人は、半分は霊界で思想し、霊人は地上界を足場としてゐる、
互いに入りかわって交はってゐるのぞ、
このこと判れば来るべき世界が、
半霊半物質、四次元の高度の、影ないうれしうれしの世であるから、
人民も浄化行せねばならん、
大元の道にかへり、歩まねばならん、
今迄のような物質でない物質の世となるのであるぞ。」(ひ月神示 『星座之巻』第十二帖)

「心とは、霊界そのものでありますのじゃ。
霊界とは、ありとあらゆる物の形を生む原型そのものであり源でありますのじゃぞ。
霊界に在るものすべてが現界に現れておりますのじゃ。
このこと判りてくだされよ。
このこと霊人殿、神々様みな御理解くだされよ。」(日月地神示 『さ』の巻)

ものを生み出している響きを伝えるからこそ、
人間は言葉からものの本質を感じ取ることができるのでしょう。
言霊の思想はここに由来しているのだと思います。
人間が信仰により神を求めるのはこの霊界から伝わる響きを
神の声として求めているからではないでしょうか。
それが目に見える世界での信仰となって表れるのです。

「神は言波ぞ、言波とはまことぞ、いぶきぞ、道ぞ、まこととはまつり合はした息吹ぞ、
言波で天地にごるぞ、言波で天地澄むぞ、戦なくなるぞ、
神国になるぞ、言波ほど結構な怖いものないぞ。」(日月神示 『地(九二)つ巻』第三十四帖)

「神は人間の想念の中に入ってゐるのぢや。
想念が一致するから神の想念が人間に伝はるのぞ。
人間の言葉となつて人間に現はれる。
言は神であるが人間でもあるぞ。自分が自分に語るのであるぞ。
この道理、よく心得なされよ。」(日月神示 『黒鉄の巻』第二十七帖)

古神道-日本的霊性
http://f35.aaa.livedoor.jp/~shinri/koshindo.html

古神道ついて
http://www.interq.or.jp/earth/tkaneko/pages/kosinntou.html

言葉の実体は響きにありますが、
現代人にとって言葉は頭で考えるためのものとなってしまっています。
この言葉の性質の変化を仕掛けてきたのがユダヤ・イルミナティです。
日月神示などによるとユダヤの霊統である神は
元つ神の仕組を九分九厘までは知っているとされています。

「神の国を千切りして膾にするアクの仕組は分りて居る、
アクの神も元の神の仕組を九分九厘までは知ってゐて、天地ひっくり返る大戦となるのぞ。
残る一厘は誰も知らぬ所に仕かけてあるが、
この仕組、心で取りて呉れよ、
神も大切ざが、この世では臣民も大切ぞ。
臣民この世の神ぞ、と言ふて鼻高になると、ポキン折れるぞ。」
(日月神示 『上つ巻』第二十八帖)

「汝等、ユダヤ十二部族申すを知りて居るか。
今世に至りて、失われた十部族の血統をのみ、探すが如き成さり様を致し居りては、
マコトの事は解かりはせんぞ。そは知らず『あやま知』に囚われ居るからであるよ。
ちいとは真釣りに気付いて下されよ。こは汝等スメラだけにはあらずして、
ユダヤのイシヤも囚われ居るのじゃ。オカシキ事にてござろうが。
『あやま知』操る者共も、自ら囚われ居るを知りて無いのぞ。
こに秘密がありたのじゃ。
思いも出して下されよ。ユダヤに至る御霊統は、
竜には成れぬ『蛇の力』と呼び習わしめた『知恵の神』がその源でござろうが。
なぜに竜には成れぬと申すかは、ただただ、真釣る真中を知らぬからでござるよ。
【元つマコトの神真釣り】を知らぬが由でござりたのじゃ。
彼の者共も九分九厘まで知りて居れど、知りては居るが肝腎要の真中の一厘を、
知りたくありても知れぬのじゃ。そは【真中の一厘】を見失うた御霊統にあるからでござるよ。
彼の者共にとりては、越すに越されぬ真中の一厘じゃ。
由に彼の者共は、彼の神の一力より他に何も無き思い込み、
一厘のあるをも知らず、そのままに総ての総てを知りて居る思いておるのじゃ。
そこそ囚われ居る証でござろうが。ただの一厘申せども、
こが無くれば何も無い、総てを顕し生かしある、彼等の神をも生かしある、
総ての総ての基なる【元つマコトの神真釣り】を知りて無いのでござるから、
こ度の仕組みのマコトも知らず、汝等と同じく、
見失われた十部族の、人の流ればかりに、血統ばかりに惑わされて居りたのじゃ。 」
(火水伝文 143-144)

「真釣りた火のご霊統と、真釣りて無い火のご霊統を取り違え居りては、大失態をやらかすぞ。
真釣りた火のご霊統申すは、竜体にて現れなさる生き通しの元つ大神様のご霊統にござる。
真釣りて無い火のご霊統申すは、蛇の体にて現れなさる知恵の神のご霊統でござるよ。
竜と蛇とをハキリ、タテワケ成さらいで居りてはマコトは見えんぞ。
汝等の申す邪竜いうは、蛇の化かした姿にてあるから、
何時までも化かされて居るのでないぞ。」「火水伝文 121)

シオン長老の議定書(プロトコール)十五
 ゴイムとわれわれの間のこの能力の差違こそが、
ゴイムの空っぽ頭と対比して、われわれが神の選民として、
また、高い人間性をもつ運命が定められているゆえんが明白に証明される。
ゴイムの目は開いていても何も見ていないし、
何も創造しない(恐らく物質的なもの以外は)。
このことをもってしても、自然はわれわれが世界を導き
支配するように創造したことが明白である。

この世界は火(霊)の響きが水(物質の原型)と交わることで生み出されていきますが、
それを彼らは蛇の神の力を用いて水(物質の原型)が
それ自体の力で形となってこの世界は作り出されていると思わせて、
言葉の性質を言霊の響きを伝えるものから水(物質の原型)の形を
概念として伝えるものに変えたのです。
響きは全体に響き渡りますが、形は外面を伝えるだけです。
火(霊)の響きを感じ取らなければものの本質は認識できないということなのでしょう。

「水はス直が基の御ハタラキにござるから、
主次第で【真ス直】にも『魔ス直』にも鳴るは解かりて下さるな。
こ度はこの御座に、全きマコトの響きを成り鳴らせる御代となるのであるぞ。
好い加減のところで手は打てぬ、申すも解かろうが。

今今は『魔ス直』の世にてござるから、
水の顕すカタチを基と成して正邪のご判断をなさるで無いぞ。
美しきカタチにだまされるぞよ。水は万象万物【成化】の基なれば、
火の位の響きあらば必ずマ素直にカタチに結び顕すは伝え知らしたな。
なれど、マコトの父の火を間違うてはならぬぞ。
水のカタチ(陽の構え)を火と偽りて、父の火の如く振る舞わせても、
マコトのモノは出来はせんぞ。
そうでござろうが、水と水が組み結びても流れるだけではござらぬか。
末は解けるモノばかりじゃ申したはこの事にてあるよ。
【真ス直】にお戻し致すも『魔ス直』に誘うも汝の仕事じゃ。
汝等は『魔ス直』だけを知り取りて、水の活きを忘れたのであるよ。」(火水伝文 69-70)

「神に委ねて真釣ろいあらば、総ては神がピタリ、ピタリと真釣ろうて、
金でも、物でも、食べ物でも、要る時に要るだけのご用意を致して下さるのじゃ。
こ度タテカエ真中にありても、変わる事無き真釣りの響きぞ。
人知に委ねて魔釣ろいあらば、総ては真釣り外れて滅ぶのみ。
人知申すは真先にありてはならんなり。
真先に神に真釣ろうて、初めて真釣ろう智恵の響きと鳴りなさるのじゃ。
言の葉のカタチから入りてはならん申すも同じ事ぞ。
言魂の響きより入らねばならん申す事、解かり取りて下されよ。
ス直にありせば出くる事ぞ。」(火水伝文 105-106)

人は言葉の形に気をとられて言霊の響きを忘れ、
それだけ響きの大元である神から遠ざかってきました。
人の内奥から伝わる響きを取り戻すことが
人間が神の力を取り戻すことにも繋がるようです。

「汝等の霊性申すは開発するモノにあらず。
真先に心払い清めるが霊性顕現の基であるぞ。
真釣りを外して霊性を開発なさる申すは、蛇の封印を解く事にてござるぞ。
☑神を心底敬う心が無いから身欲が先に立ちて、
そが甘き誘いにもすぐにだまされしもうのじゃ☑。
 汝等の念にて汝等も、汝等の周りも変え行くは叶う事にてあるなれど、
神経綸の神法はちいとも変わりは致しはせんぞ。
この事、[[特に気を付けて下されよ]]。こが悪神のまやかしの手口にござるのぞ。
汝の思いを叶える事もご修行のうちでござるなれば、それはそれで良いなれど、
真釣り無き思いは、必ずメグリを育む事になるから申して居るのぞ。
汝等が創造出来る申すは、火水(カミ)が正位であろうとなかろうと、
十字が傾きてござろうと、元つお仕組みによりて、マ十字に組み結びてあるが由、
真中の何でも産み成す御座に、汝の思いを叶える力がハタラクからでござるよ。
汝等皆々神成る身ゆえ、自らの真中から何でも、創り出すが出来るからであるぞ。
なれど、そは真釣りて無くればマコトに結ばぬ由、
末はメグリを持ちて、情けを持ちて解くしか無いものばかりでござるのじゃ。
人民様の今今は、お命短き由、今さえ良けら良いなぞと申してござるが、
今今の短きお命と、これからの至楽至善の永き御代に生くるお命と、
どちらか選べ申すも愚かなことにてござろうが。」(火水伝文 124-126)

「心スミキリてマコト真釣りて結ぶを一二三(ヒフミ)申すぞ。
マコト真釣りた息吹の事ぞ。真言であるぞ。生く言魂の事にてあるよ。

マコト真釣りた火土水いうは剣のことにてもあるのざぞ。
邪をハライ、マコトを顕す草薙の剣の響きのことにてあるのじゃ。」(火水伝文 59)

「草薙の剣いうは火土水(ヒトミ)の事であるぞ。
一二三(ヒフミ)の火土水(ヒトミ)の事であるぞ。
真言の事であるぞ。
息吹合うた言魂の事であるぞ。
生く言魂の事にござる。
マコトを申すのでござるよ。
余りにケガレた身魂のままである者に取りては、
一挙に一回でマコトをハラに据えられては、
生くるも成らず、死ぬも成らず、苦しみの余り改心致すも底の見えてる改心由、
それも成らず。
悶え暴れ狂いて、しまいには自らの頭を、自らが潰す末路と成り果てしもうのぞ。
 蛇はアタマを潰さねば死なぬと同じ道理でござるよ。
神、頼むぞ。汝はこう成りては下さるなよ。」(火水伝文 122-123)  
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【これを持って▶功歩・列伝☯一☯◀の❖万物生成←経剄控❖の、功夫・演舞の終了】。